真空亭雑記帖
当雑記帖は、真空亭住人の見たことやら聞いたことやら読んだことやらについての感想やら評価やらをつづるところである。
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ISSAY meets DOLLY 『Cabalet Noir Vol.10』 於、南青山MANDALA
記念すべき十回目のカバレノワール。といっても、ゲストを迎えたりあまりやらない曲をやったりといったお祭り的なことは前回やってしまったためか、あるいはメンバーのほうで十回目というのが特別重要でもなかったのか、かわった趣向はとくにない、ごくごくオーソドックスなステージだった。前回、リン・ホブウェイと一緒に歌ったジャパンのカバーも今回はなく、カバレノワール中盤あたりからフォーマットになってきた、第一部前半と第二部後半にリズム隊をふくむフルバンド編成(通称エレクトリックドリー)によるアッパーな楽曲を振り分け中盤にピアノとバイオリンだけを従えたトリオ編成(アコースティックドリー)によるムーディーな演奏を固めた構成も、オープニングのダンテをモチーフにした小曲に始まりライブテーマ曲「カバレノワール」、そして現在のドリーのコンセプトが固まった最初のライブでの一曲目だった「ラストタンゴ」という始まりからしてもはや古典的といえる。現時点での唯一の音源集である五曲いりミニアルバム『4つの夜』から三曲やった(「紫の夜」「青の夜」「4つの夜」)のが珍しい――難曲にして決め曲でもある「4つの夜」以外は「4つ」のうち大体ひとつしかやらない――ぐらいか。
 セットは平凡だったけど、演奏の質は高い。とくにこれまでどうにも個性が出し切れずにいたバイオリンの神田珠美が健闘していた。最初のバイオリニスト、美尾洋乃の域にはまだ達していないけど、バンマスの福原まりのピアノ、中原信雄の雄弁なベース、そして時に無駄にうるさい魔太朗のドラムスという濃い音像の中で、ようやく自らの音をきらりと閃かせるすべを見つけだしたようだ。美尾洋乃時代のようなピアノ&バイオリンのツインリードなドリーの復活は近い気がする。次のワンマンライブは未定みたいなうえ、イッセイは本業とも言うべきデルジベットの活動を本格的に再開、福原まりもアニメのサントラを手がけたりと、次の一手が見られる日はなかなか近くには来なさそうではあるけれど、そのときが来たらおそらくまたワンステージ上がったドリーの姿が拝めるに違いない。

スポンサーサイト

テーマ:最近の話題 - ジャンル:日記

FRICTION『LIVEs』渋谷クラブクアトロ、2008年5月21日
レックと中村達也の二人組みになって再始動した80年代の伝説。
去年、六月の恵比寿リキッドルーム以来の十一ヶ月ぶりの東京でのワンマン公演。聞けば、一昨年の東京のライブ(これは渋谷クアトロ)がやはり恵比寿から数えること十一ヶ月前の七月だったそうで、このペースなら次の東京のワンマンは四月に見られるのかな? 

 というのはともかく、初めてのクアトロで、すごい位置にある柱に悪い意味で感動しつつ、七時半の開演を待つ。
 定刻を過ぎること数分、ベースを抱えたレックと中村の二人が何のギミックもなくステージに現れ、位置につくなりフリクションの作品中最もパンク色の強い「ピストル」でスタート。それも前回よりもだいぶパワフル。一曲目なのにライブ終盤にでもなったような勢いで、呼応するようにフロアの客がい暴徒化、モッシュ状態に巻き込まれていろいろとピンチになる。基本的に動いたり頭振ったり腕をふったりしてライブ見るのが好きではないので、こういう状態は非常に困るのである。まあようするに、普段いってるライブがこんなにワイルドな人たちのいないものばかりなので(というか、前回のリキッドルームもこんな騒ぎにはならなかった)、今回もそんな自分の趣味が貫けるかと思ったのが甘かった、というだけのはなしですが。
 そんな、激しい楽曲チョイスと客のノリからも予想がつくように、わりあいファンク的なリズムやへヴィーなビートを多めにフィーチャーしていた前回とは一転、今度のフリクションはパンキッシュで攻撃的なテンションで終始おしまくる。リキッド時はまだ前トリオ時代のフリクションのビート感覚が残っていたが、よくもわるくもパンクドラマーであることを捨て切れない中村のノリを前面に生かす方向にシフトチェンジをしたのだろうか。その結果、確かにあの前回を軽く超える勢いと熱量を放ってはいたし、名曲「クッション」の、スタジオ版ともライブアルバムともそしていままでの二人フリクションでアレンジのどれとも違う小気味よくソリッドなリズムによるの演奏は、このデュオでしか考えられない輝きを放っていたが、前回の「ギャッピン」と「サイクルダンス」のメドレーで聴けたようなかろやかでクールなテンションの演奏がなくなってしまったのはすこしさびしいところではある。二曲演奏された新曲のうち、「DEEP」「DIVE」がキーワードのへヴィーナンバーと、「ミラミラ(Mirror,mirror?)」というフレーズが印象的な組曲調の楽曲の方向性はしかし、ライブのほかの演奏とずいぶんと違っていたから、レックにはバンドのパンキッシュなだけでないコンセプトがもうすでに見え始めているのかもしれないけども。

 それにしてたった二人という編成の活かしかたが前回よりはるかにあざやかになっていたのには瞠目。ベースのエフェクトの使用法もサンプルループと手引きの入れ替わるところがもういつ変わったのかぜんぜん判らない。ソロパートも前回のギターの代用で弾いてございというところがだいぶ減り、メロディアスなフレーズから高音域でノイズっぽいプレイになったり、変幻自在である(反面、中村がおしばかりの一本調子の演奏だったのが惜しまれる)。より自由に引けるはずのスタジオ版ではきっともっといろいろな演奏を聞かせてくれるはず……しかしいったいそれはいつ出るのだろうか。フリクションは新曲はライブで披露して育ててからスタジオに落とし込むスタイルだから、あと最低でも六曲(3/3時代の再演「いつも」もアルバムに入れるとしたらの話だが)? 一体それは何年先になることやら――と、演奏自体は大満足なのに、飢餓感もいや増すという、素晴らしいのに困ってしまうライブなのだった。

 では、また来年?

テーマ:ロック - ジャンル:音楽

再起動
十年ぶりぐらいに再会した友人に、まるでタイムマシンから出てきたようだといわれたのですが、これは進歩がないやつだという皮肉ととるべきなのか、経年劣化してなくてすばらしいというプラス評価ととるべきなのか、ちょっとばかり悩むところですが、そんなことよりも、なぜばれたのか、その友人の勘の鋭さに脱帽する次第でありました。

 というようなどうでもいい私事はおいておくとして、今回取り上げるのは奇しくも、「再会」によって復活したふたつのバンドのアルバムであります。

ダイナソーJr『ビヨンド』
ザ・ストゥージズ『ザ・ウィヤードネス』


一つは、十六年ぶりにオリジナルメンバーでアルバムを出したダイナソーJr(バンド自体は十年前まではメンバーは実質一人ながらも存続していたので、十六年ぶりのグループ再結成ということにはならない)、もう一つはなんと三十四年ぶりにメインの三人が集い、アルバムを出したザ・ストゥージズ、こちらは、じつは千九百七十年にいちど解散して、その三年後に「再結成」しているので、単なる復活ではなく、再復活、ということになる)。
 かたや、グランジシーンにおけるニルヴァーナ、パールジャムに続く三番手にして、もっとも深く愛されていた(信奉されたり、神格化されるのではなく)強力なトリオ、かたや、ゴッドファーザーオブパンクことイギーポップの最重要バンド、どちらもその過去の栄光がとても眩いので、下手な復活は、伝説に泥を塗る結果にしかならない危険性も十分にあったわけだけど、いざアルバムができてみると、笑ってしまうぐらい昔どおりでとりあえずはひと安心の出来なのであった。

 とはいえ、ダイナソーのJ・マスシス、ストゥージズのイギーポップ、この二人のどちらにとってもキャリア史上最高作かというとそういうことはまったくなくて、彼らの作ってきた作品群の中では平均よりちょっと上に出た程度のものでしかないのは、これはさすがにしかたのないところだろう。考えてみれば、「あの」ストゥージズ、や「あの」ダイナソーJrの伝説の時代がそう簡単に凌駕されると考えるほうがおかしいのであって、むしろ衰え、穏健化つつも、それでもなお過去と同じ空気を保っていられることを脅威と見るべきなのである。

 とくに、ストゥージズの変わらなさぶりは凄い。スティーヴ・アルビニの録音(アルビニは「プロデュース」はしない)によってもたらされた生々しいバンドサウンドもさることながら、もうそろそろ六十に手が届こうという歳のはずのイギーポップの若々しい歌声は驚異的である。アルバム二曲目なんて、最近の洋楽しか知らず、イギーのことを知らない人が聞いたら、レッドホットチリペッパーズのアンソニーがうたっていると思うのではなかろうか。アンソニーは、ライブでストゥージズの代表曲「サーチ&デストロイ」のカバーをしているだけでなく、「コーヒーショップ」という曲では「イギーポップのように踊ろう」なんてうたっているぐらいのファンであり、ステージングや唄い回しにもその影響は如実だから、詳しくない人が聞き間違えるぐらいはべつにおかしいことではないのだが、当たり前のことながらアンソニーが一番影響を受けたであろうイギーは二十台は前半のイギーのはずで、今のイギーがアンソニーに聞こえるということは、つまりはそういうことである。イギーの喉は時の洗礼にまだへこたれてはいないのだ。さすがに往年の異様なテンションはないにせよ、だ。

 一方ダイナソーはというと、これまたまったくいつもと変わらぬJ・マスシスの世界――ニールヤング直系の轟音にしてメロウなギターと、ニューウェーブ的に(直接にはやはりキュアー=ロバートスミスの影響が濃いか?)軽やかにポップなメロディをつむぐ脱力ヴォーカル――で、ひたすら心地よい。ただし、実質Jのソロプロジェクトと化していたインディーズ後期からメジャー期の多彩なアレンジ――これはその後のJ・マスシス+ザ・フォッグも名義が違うだけで制作形態も音楽性も同一線上にあったわけだが――は控えめで、あくまでオリジナルメンバー三人によるインディーズ中期までのスタイルに忠実な、トリオによるバンドサウンドがメインになっていて、そのぶんやや単調であるような気はするが……。

 両バンド、ともにこれから彼らを聞こうとする人々に勧められるかというというとちょっとためらってしまうものがあるが、かつての彼らがだいすきだった人々には、文句なく楽しめるアルバムといえましょう。
 転がり続けるのもロックなら、自然体で変わらないのもまたロックなのだった。たぶん。

 



これがそれぞれの帰還作。いわばタイムマシンで送られてきたアルバムたちである。
で、以下が、その過去そのもの。

  

ストゥージズのオリジナル作二枚と、最初の再結成一枚。ロックが好きで全作聴いたことのない人は今すぐ聞きましょう。有名な「I wanna be your dog」は一作目に収録されているが、最高傑作はじつは二作目の「ファンハウス」で、テンションの高いバンドサウンドだけでなく、サックスプレイヤーも使ってアヴァンギャルドな音作りを試みたりしていて、レッチリがライブの最後の長いジャムセッションに演奏していることでも有名になった「Search and destroy」収録の三作目が存在していなくても、このバンドの重要性か割らなかっただろうと思わせる強力作なのだった。まあ、とっつきは一番悪いような気もしますが(聞く順としては、1→3→2というの一番あたりさわりがないだろうか)。

  

ダイナソーのほうは意外に作品が多いので、初期(第二作)、中期(第五作)、そしてダイナソーとしての最終作「Hand it over」は品切れのようなので、名義を変えての第一作(実質八作目)をセレクト。一般的には最高作は二作目ということになっているが、好みとしては五作目の一曲目「アウトゼア」の強烈なギターをまず聴いて欲しいところ。そして、アルバムを買いあさった後「モアライト」のタイトル曲に辿り着く、というのが理想の流れだろうか。基本的にどれも同じなので、一つ気に入れば、皆気に入るはずである。


プロフィール

真空亭

Author:真空亭
FC2ブログへようこそ!



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



FC2





上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。