真空亭雑記帖
当雑記帖は、真空亭住人の見たことやら聞いたことやら読んだことやらについての感想やら評価やらをつづるところである。
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ヤン・イクチュン『息もできない』
やたらと評判のいい韓国映画。非常に偏った文化的体験しかしてないもので、じつは韓国映画をちゃんと見るのはこれがたぶんはじめてである。大昔に代理母の悲惨な人生を描いた作品をテレビで見たようなおぼえがあるのだが、タイトルもよく思い出せないぐらいで、到底ちゃんとみたとはいえないという体たらく。かといって「いちばん近くて不思議に遠い国」の映画にまったく興味が無いというわけでもなくて、家には『殺人の追憶』と『カル』のDVDがあったりする。しかし、あったりするだけでいまだみていなかったりもするわけである。なにかを見る時間をきちんと確保するのにも才能がいると痛感させられる。時間は、小銭を使うようになくなっていく、とはよく言ったものだ。
 しかし、家でぐうたらしているとあっさり蕩尽していく時間も、限定された目標が存在するとなれば、もう少しは有効に使うこともできる。毎月一日の映画の日、早起きして洗濯して掃除をすませたのち、十一時十五分の上映に向け、自転車に飛び乗ったのでありました。そとは春を飛び越して初夏の陽気。
 そして吉祥寺バウスシアター。さすがに午前中の回だと、千円で見られる日であってもそれほど客は多くない。学校の教室より狭いようなシアター3(当然スクリーンも小さい。まさにミニシアター)なのに、三分の二ぐらいしか人は入っていなかったのだが、不人気というわけではないようで、それ以降の回は、どうやら満席になっていた模様。朝の回を選択したのは正解でありました。

 そうして上映が始まるとまずいきなり北野武にすごまれた。『なんだこのやろう!』 ようするに、すでにネットでも公開されている『アウトレイジ』の予告編がながれたわけだが、バウスの小さいスクリーンであってもそれでもパソコンの画面よりはだいぶ大きいわけで、一瞬ぎょっとする。『ブラザー』みたいなのだったら困るけど、しかしこれはやっぱり見ておきたい映画。ついで『フローズンリバー』の予告なんかも流れて、これもここでやるなら見てもいいかなという気になる。

 本編に関係ないことを書きすぎてしまった。サンフンにビンタされてしまうな。
 さて、肝心の『息もできない』である。

 これは、確かに、世評どおり、素晴らしい作品でありました。
 といっても、目を見張るような斬新な物語であったり、キャラクターであったり、といったものはここにはない。これは、「落伍者を女神が救済する」というような、古今東西それこそ何百回と語られてきた、きわめて古典的な構造を持った物語のバリエーションで、近年でもたとえば、このブログでも紹介した『イースタン・プロミス』や、去年のマスターピース『グラン・トリノ』なんかもこの類型の中にある(『グラン・トリノ』は、老人と少年の物語じゃないかという向きは、同作を半分がた見ていないに等しい。あの物語において、真にコワルスキを揺さぶったのは少年ではなくその姉だ)。そういう観点でいうと、真に意外な展開やドラマ性というものはここにはほぼ、ない。
 がしかし、本作は見るものを釘付けにするのだ。息もできないどころか、眼もそらせない。その力はどこから来るのか。

 それはたとえば、役者の力である。監督・主演のヤン・イクチュンというひとは、サンフンを演じているときは、いささか小綺麗すぎるきらいはあるにせよ、基本的に救いがたい社会の屑にしか見えないのだが、普段の写真を見る限り、ただの気弱そうな好青年だったりするわけで、「100パーセント真実の感情」みたいなことを言ってはいても、それを具体化するために隙のない演技プランがあったのも事実だろう。むしろサンフンというキャラクターは100パーセント作りこまれた存在であると考えたほうが納得がいく。よくできた嘘は本当よりもしばしば説得力があるものなのだ。
 と、同時に「本当」を上手く利用している側面もある。たとえば、サンフンとユニが甥を連れて買い物をするシークエンス。この甥を演じる子役の人は、パンフレットを見るとけっこうな人気者であるようだけど、見ている限り、芝居らしい場面での台詞の感情のこめ方や表情の作り方はいかにも芝居をしていますという感じの、いってみれば子供店長と大差ない感じなのだが、この、買い物の場面は、おそらく演技をしていない。序盤こそ表情が硬いのだが、だんだん打ち解けてきて自然に笑みがこぼれ、跳ねるように歩いたりしている。たぶん、普通に二人と買い物に行って、おいしいものをつまんでまわったのを、カメラマンが、隠し撮りではないにせよ、あまり撮影を意識させないようにしてフィルムに収めているのだろう。それがちょうど、物語において、甥とユニが仲良くなっていく過程とまったくイコールなので、この上もないほど「真実の感情」なのだ。
 この周到さは、リハーサルなし、読み合わせなし、ワンテイクが基本という撮影方針とも関係していて、これは、監督本人が言っている「慣れによる新鮮さの減退防止」だけでなく、予算の都合による部分も多い気もするのだが、動機がどうあれ、つねに最善手を打ちつづけないといけない状況であった、ということであり、その要求にこたえるだけの厳しくも綿密な構想力がヤン・イクチュンにはあったということでもある。

 その天才的な構想力は演出的な面にも大きく発揮されていて、これは映画のテーマとも密接に絡んでくるのだが、真に重要なものは直接描かれることはない、という語り口はその際たるものといえるだろう。
 たとえばこれだけ暴力場面の多い映画であるにもかかわらず、暴力そのものが映されるシーンはほとんどないのである。たいていは、暴力をふるっている者の顔や上半身とふるわれている者のおびえる表情や逃げ惑う姿の切り返しで構成されていて、身体が直接損壊する描写は巧妙に避けられている。血すらほとんど流れないのである(だからこそ、中盤と終盤にある流血の場面が強烈なインパクトを持ってくるのだ。そしてそのシーンでは今度は、暴力そのものは重要ではなくなっている。そこで読み取るべきは別のことなのだ)。
 そして台詞。『プラトーン』での「FUCK」を超える勢いで多用される「シーバーロマ!」などのおびただしい罵倒語も、額面どおりの罵倒である場合はむしろ少ないし、説明的な語りは限界まで切り詰められている(ので、サンフンと姉の関係とか、飲み込むのに時間がちょっとかかったりもする)。
 そうやって、語られるべき、あるいは、描かれるべきことを、慎重に回避していった結果、真に語られるべき言葉、真に描かれるべき場面、肉体の痛み、心の痛み、すべては、フィルムの中にではなく、観客の心の中に構築されていく。

 これは、サンフンやユニという人間そのもののでもある。彼らもまた、真に重要なことを直接表現する術を持たない。この映画で最も映画らしく、そして同時に最も演劇的でつくりもの的な漢江の場面であっても、サンフンとユニの会話は、核心には切り込まず、周縁を一回りしただけで、あとは沈黙しかないのだから。


 しかし、あるいはこれだけでは、才能のある若手の映画、というだけに終わっていたかもしれない。本作が真価を見せるのは、サンフンとユニの物語が終わってからのエピローグだ。ここで、ユニが目にするものは、社会や国家がもたらす歪みだけではない、人間の業そのものだ。その闇の巨大さのまえで立ち尽くすことしかできない彼女の姿は、「主人公に光をもたらすヒロイン」という枠を超えた、圧倒的な悪夢の主人公のようである。まるでそれまで語られてきた出来事が、全体のなかの小さな事件にしか過ぎなかったような。
 これには正直、びっくりした。セオリー的に考えるとサンフンとユニの過去の接点を示す伏線は、二人の物語の帰結のための仕掛けであって、孤独な二人の悲劇、という側面でいうとそのように使ったほうがより鮮烈かつドラマチックになったはずなのだが、あえてそこを外してきた、ということは、じつはそれは本題ではなかった、ということなのだから。
かすかな光を放つ小さな物語を軸に、巨大な闇を描きだしてみせたわけである。真に重要なことは直接描かれることはない、のだ。
とはいえ、このエピローグは狙いが大きすぎで、若干の当惑もあったのも、また事実ではあるのだが。


 さて、気になるのはこの監督の今後である。ヤンとおなじく自作自演で名を挙げた、オーソン・ウェルズの監督としての名声のほとんどはその第一作『市民ケーン』によっていて(残りのほとんどは役者として出た『第三の男』だ)、その名声は十字架のようにウェルズにのしかかって、ある意味ウェルズの生涯はその十字架との格闘に費やされて終わってしまったようにも見える。ヤン・イクチュンも少なくとも当分はこの映画の名声と戦うことになるだろうし、あるいはウェルズのように一生勝利できないかもしれない。
 しかしおそらくウェルズが『市民ケーン』を作ったことを後悔していないように、ヤンも本作を作り上げたことを後悔はしないだろう。

 まあ映画ファンとしては『息もできない』を超える傑作を見せてくれることを期待したいところではあります。さてそれはいつになることやら。


おまけ。原題は「トンパリ」とよむらしく、これは糞蝿という意味で、邦題はこれにはまったく従わず、英題の「Breathless」を元にしたとのこと。監督は原題にこだわっていたようだが、英題と邦題の暗示する閉塞感は作品全体を覆う雰囲気を的確に示しているから、これはなかなかいいタイトルだと思う。『窒息』とかだったらもっと良かったかもしれないけど、それだと客を呼ぶにはいささか怖すぎるか。

あとこれは本編にはまったく関係ないけど、日本の漫画とかゲームのポスター(TONYのシャイニングフォース)とかプレステ(と字幕では出ていたけどプレステ2っぽい)とか、「抗日」の国のはずなのに日本の品物がけっこう多いのは面白かった。日本における「嫌韓」なんかと同じで、一部の人が騒いでいるだけなのかもしれない。
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【2012/11/01 07:39】 | # [ 編集]

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